今回の小話は、広島大学病院 大野 晴也 医師からです!

みなさんはマイルス・デイビスというジャズ・ミュージシャンの演奏を聴かれたことはありますでしょうか?

 ジャズトランペッターのマイルス・デイビスは、常に革新的な音楽スタイルを提案し続けたジャズ界のパイオニアでした。マイルスの功績は彼のトランペット吹きとしての素晴らしさだけでなく、様々な後進の演奏家達を育てつつ、新たな音楽の表現方法を模索し続け、ジャズにとどまらない多くの新しい演奏スタイルを確立し浸透させたことにあります。芸術家として最も大事な要素の一つである卓越した創造性が、彼の評価を絶対的なものにしていると考えられています。

 マイルスの数ある名盤と呼ばれる作品群の中でも、1959年に録音された「カインド・オブ・ブルー」は世界で一番売れた(今も売れている)ジャズアルバムとしても知られています。このリーダーアルバムのレコーディングに際し、マイルスはピアニストとして新たにウィントン・ケリーを迎えました。マイルスもウィントン・ケリーも、それぞれが他のメンバーとは何度も共演をしてきた実績はあったものの、二人が共演してのレコーディングは初めてでした。

 マイルスとウィントン・ケリーの二人の出会いは奇跡的な化学反応を起こし、「モード・ジャズ」と呼ばれる歴史にも残る新規の演奏形態を世に送り出すことに成功します(図)(カインド・オブ・ブルーでウィントン・ケリーとの共演した曲は1曲のみで、他は全てビル・エヴァンスが弾いていますが、「ウィントンはタバコの火であり、それをずっと灯し続けていた」とマイルスもその功績を認めていたようです)。

 この「新たな出会いから創造性が生まれる仕組み」については、社会ネットワーク分析の手法を用いてハンガリーの中央ヨーロッパ大学の教授から論文が出されており、クリエイティブな成功と関連付けて「マイルス・デイビス因子」とまで名前がつけられています (Balazas Vedres. Appl Netw Sci. 2017;2: 31.)。

 若い時には偉大な先進のジャズの巨人たちと、また年を経てからは才能ある多くの若手と、常に新たなミュージシャン達と活発に交流しコラボレーションすることで、マイルスは常にフレッシュな創造性を得ることに成功していたのです。

 マイルスは糖尿病を患っており、65歳の時に脳梗塞と肺炎で亡くなりましたが、今でもマイルスの残したたくさんの作品を聴くことができます。人と人との繋がりのなかから生まれる創造性に思いを馳せながら、観客に背を向けてトランペットを吹くマイルスの背中を思い浮かべつつ聴いてみるのもいかがでしょうか。

広島大学病院 内分泌・糖尿病内科 大野晴也